町田絲店は創業1864年という長い歴史の中で糸、紐に関する技術力を高めてきました。
現在では伝統の技術を継承しながら、お客様一人一人に合わせた商品を提案。
日々の信頼を積み重ね、常に新しい商品に挑戦していくことで、
お客様と町田絲店のこれからの100年を紡いでいきたいと考えております。
初代町田徳之助は24才で当時は浅草黒船町という名であった現在の場所にて糸商を始めた。主な商品は絹糸で、藤田屋を名乗る。
本糸は線縷円滑にして亳も錯節なく且つ其色沢美麗なるを以て彼の小町姫に比し其名を仮りて之に名く本糸は明治廿年の頃上洲新町三井紡績所(※現在クラシエフーズの所有)に謀り創て普通手縫用糸を製し爾来其製方に理化学を応用し同廿五年更に密針用(※ミシンのこと)に適する本糸を製出せり
2代(25才)東京貯蔵銀行支店を厩橋の店舗の隣に新設した。
(現在の東京厚生信用組合店舗の場所)
5回目の火災。
日本メリヤス(株)を創立、監査役となる(後に相談役、明治29年解散)。
2代(29才)千住馬車鉄道(株)の整理に着手、7年間その管理にあたり社長となる。
2代徳之助がその将来性に着目し、研究・製造に多大な労力を割いた「人絹(じんけん)」。
本年表にも度々登場するこの人絹とは、人造絹糸を縮めた呼名で、人工的に作った光沢のある絹糸のような糸という意味でつけられました。長繊維を人絹、短繊維(ステープルファイバー)をスフと呼ぶのが一般的です。絹糸に似た繊維を作るのは化学者の夢で、1882年に硝化法人絹が発明され、92年にビスコース人絹(ビスコースレーヨン)が作られ1904年に工業生産に移されました。今日でも「レーヨン」の名で世界各国で大量に作られています。
「近代日本の資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一氏が、日本各地の実業家や有望な若手に米国社会の本質を理解してもらいたいと考えて団長を引き受け組織したのが渡米実業団でした。
3か月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、米国各地で政治・経済・社会福祉・教育など多方面の施設を見学。第27代アメリカ合衆国大統領ウィリアム・タフト、発明王トーマス・エジソン、鉄道王ジェームズ・ヒルなど各界実力者に面談し、成長著しい米国社会を体感しました。
2代(57才)関東大震災のため厩橋の店舗は全焼、松田町の人絹製造所は山津波で埋没、鎌倉七里ヶ浜に避暑中の妻子のうち三・四男は圧死する。また支配人大川直久は被服廠に避難中行方不明。このような悲惨事にも負けることなく再建に専念した。青年時代からの禅の修養が役に立った。
11月 五男 勉が生まれる。
2代徳之助(60才)11月 東京人造絹糸吉原工場が竣工した。
4月 資本金1,000万円にて東京人造絹糸株式会社を創立する。本社を厩橋の町田絲店内に置き、徳之助が社長に就任した。
常務に次弟藤掛与左衛門、取締役に義弟町田徳蔵、渡辺定二、監査役には甥若林亀之助がそれぞれ就任した。
昭和4年に落成し、昭和57年に現在の新ビルに建て替えられるまで周辺のシンボルであり続けた町田絲店旧社屋。落成当時のビル屋上から撮影したパノラマ写真から見てとれるように周囲にビルは一つもなく、向かいに建設中の第一銀行(現みずほ銀行)ビルと共に"近代ビル"として世間の耳目を集めました。
日本建築学会による、近代建築が全国規模で収録された『日本近代建築総覧』(1980年刊)にも旧町田ビルは掲載されており、安藤組の設計、施工であったこと、建築当時としては相当立派な建物であったこと等がわかります。
太平洋戦争に入ると繊維製品の販売は禁止されて、1942年2月には「繊維製品配給統制規則」によって衣類の総合的な配給切符制が実施されました。
この衣料切符の点数は2種類あり、甲は郡部で1人あたり一律80点、乙は都市(市制施行地を主体とする)で100点と決められていました。
衣料の品目別点数をかいつまんで紹介すると〈背広三揃 50点〉〈男子外套 50点〉〈レインコート 30点〉〈婦人服ワンピース 15点〉〈もんぺ 10点〉〈シャツ長袖 12点〉〈毛糸 2点〉〈縫い糸 1点〉等となっていました。
明治・大正・昭和の三代にわたって活躍した近代日本を代表する彫刻家、平櫛田中。
その手による2代目徳之助の肖像彫刻が町田絲店の正面入口に展示されています。田中の作風である優れた写実性で表現された徳之助の姿は、制作されてから60年以上を経た今でも生き生きとし、社歴を重ねる町田絲店を見守り続けています。
下記年表中に登場し、歌舞伎座に寄贈したとされる木彫作品「鏡獅子」は、国立劇場にある、田中が20年の歳月をかけて完成させた代表作「鏡獅子」の試作のうちの一つであると考えられます。
天下一印絹ミシン糸の標語を募集。「笑顔で縫える」が当選、記念売出しを行う。
7月、町田商事仙台営業所を新設する。
3月 元町田商事常務三島定雄死去(59才)。
4月18日椿山荘において町田100周年記念祭を催す。
(縁故関係者のみ)
5月26日、社長町田徳治死去。享年61才。
6月、町田絲店社長に町田寿子就任。
6月、町田商事社長に町田治郎就任。
10月、町田絲店社長に町田保徳就任。
町田商事、手編製品のマーク「ウィンザーマーチ」を採用。
町田商事の発足は昭和14年。戦時下における企業統制によって卸・小売の併営が禁止されたため、町田絲店の卸部門が分離・独立することになったものです。戦後の再生にあたっても町田絲店の卸部門はそのまま町田商事が受け継ぐことになりました。
絹糸、毛糸、刺しゅう糸、手芸糸、ニット製品、編み針、ゴム紐、雑貨一般といった取扱品目の中でも、主力の糸・毛糸では天下一印、金的印などのオウンブランドの発売元であり、これらのブランドは現在でも町田絲店で継続して取り扱っています。
町田絲店、資本金3,000万円に増資。
現在の新ビル落成、創業120周年。
4月、町田治郎社長就任。
町田ビル1階店舗リニューアルオープン。
「老舗の技を現代にいかしつつ、新しい物作りにも挑戦する」という町田絲店のコンセプトショップとして生まれ変わる。
2007年にリニューアルオープンした町田ビル1階の店舗。ショップコンセプトは「昔ながらの伝統文化と近代的デザインの融合」です。「老舗の技を現代にいかしつつ、新しい物作りにも挑戦する」という町田絲店のコンセプトに合わせたショップとなっています。細くて長い物(糸、紐)であれば、何でも取り扱い、数えきれないほどの商品がありますので、ショップを大きなサンプル帳としてご活用いただければ皆様の作りたい物、探し物がきっと見つかるのではないでしょうか。
11月1日、町田俊治社長就任。
前社長町田治郎 駒形南町会、町会長就任。
4月、株式会社二徳商會創業100周年を迎える。
町田俊治、東京青年会議所台東区委員会 第37代委員長に就任。
町田治郎、50周年を迎えた東日本繊維資材商業協同組合理事長に就任。
9月、東京インターナショナル・ギフト・ショーに出展。
Trying to Next 100 Years
これからも皆様と共に…